2014年7月1日火曜日

『恐怖心は幻想だ』 マイケル・ジョーダン

大事なシュートを失敗しても、僕はその原因を考えたことは一度もない。
失敗した原因をあれこれ考えると、必ず否定的な結果を考えるようになってしまうからだ。

多くの人が失敗に対する恐怖心のために、立ちすくんでしまうのは僕も理解できる。
人は他人の悪い結果を見たり、失敗する可能性を考えた時、恐怖を感じる。
僕はこんな理由で恐怖心を感じたりはしない。

人生で何かを達成したいと思う時は、積極的かつ、攻撃的にならなければならない。
目標を決め、それに向かってひたすら努力するだけだ。
受け身の姿勢では絶対に達成することはできない。
人によっては恐怖心がその障害となることも理解できる。
しかし恐怖心というのは単なる幻想に過ぎない。

何かに挑戦する時、僕はそれを達成すること以外、何も考えないことにしている。
何かを障害として感じたとしても、実際には何もない。
ベストを尽くすチャンスと、成功を収められる可能性があるだけだ。

だからこそ、僕はいつでも「積極的に考えろ」とアドバイスする。
そして、次のチャンスで失敗を原動力にすればいい。
実際、失敗することで目標に近づけることもある。
人類の偉大な発明品は、一つの答えを見つける前に、数多くの失敗を繰り返すと言うことだ。

スポーツにおいては、恐怖心は時に、集中力の欠如から生まれる。
例えば、フリースローの時、カメラの向こうで多くの人が僕を見ていると考えると、絶対にシュートを成功することはできない。

だから、こんな時自分の中にイメージを描くことにしている。
試合でも、何千回と練習してきた方法やテクニックでシュートする。結果は考えない。
そうすれば、リラックしてシュートを放てるからだ。
いずれにしても、シュートの後は何もできないのだ。
ボールを手から放した後は何も考える必要はない。

ビジネス社会でプレゼンテーションをする場合でも、全く同じことが言える。
必要なことを全てやり終えてしまった後は、することは何も残されていない。
そのプレゼンテーションをクライアントが気に入ってくれるか、くれないかだけだ。
つまり、結果はクライアントが、あるいは購入者が判断するだけだ。

僕は失敗を受け入れることができる。誰にでも失敗することがあるからだ。
しかし、僕は挑戦することをあきらめることは、絶対にできない。
だからこそ、僕はチャレンジすることにも恐怖を感じたりしない。
「成功できないかもしれないから、挑戦することはできない」なんて、絶対に言うことはない。
成功できるかどうかなんて、僕にはどうでもいいことだ。
情熱の全てを注ぎ、110パーセントの努力をしている限り、結果はどうでもいい。

恐怖心は幻想だ!

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