2014年6月29日日曜日

『人生を良いものとするのも悪いものとするのも、全て個人が決めることである。人の強さも弱さも、純粋さも汚れも、他の誰のものでもなく、彼自身のものである』

ジェームズ・アレン(イギリスの著述家)

....いつものように歩いていくと、道がふたつに分かれているところに出てしまいました。
どちらも先がどうなっているのかは、よく見えません。
どの道を選べばいいのかわからなくて、そばにいた人に尋ねてみることにしました。
「右の道は途中に小さな川があり、左は坂道になっている。私は、右へ行く方がいいと思うよ。川を渡る時、少し濡れるかも知れないが、坂を上るよりはだいぶ楽だろう」
その人に言われたとおり、右の道へ行くことにしてみました。
川は、思っていたよりも深く流れが速かったのですが、ずぶ濡れになりながら、何とか渡りきることができました。
こんなことを思います。
「やっぱりこの道を選んでよかったようだな。ちょっと危なかったけれど、
無事に進めている。坂道なんかを選んでいたら、今頃、往生していただろう。
あの人に教えてもらってよかったよ」
しばらく行くと、また道がふたつに分かれています。
同じように、近くにいる人に聞いてみました。
その人は答えます。
「左は、地面に穴がいっぱい空いていて、歩きにくいよ。でも、見通しは良いから迷うことはあるまい。右側は草が茂っていてい、前がよく見えない道だ。歩きやすいことは歩きやすいがな」
「私は、どちらの道を行けば良いのでしょう?」
「どっちだっていいだろう。どうせたどり着くところは同じなんだから」
「そんなことを言わずに教えてください。どちらの道の方が安全に歩いて行けるのですか」
「まあ、私なら歩きやすい右の道を行くだろうが、あんただったら左のわかりやすい道にしたらどうだ。迷うことはないだろうし、あんたは身軽そうだしな」
左の道を選ぶことにしました。
ところが、この道は本当に穴ばかりで、なかなか前に進んで行くことができません。
ちょっとでも気を抜くと、穴に足を取られて転んでしまいそうになるのです。
「なんだこの道は!あんな人の言うことを聞くんじゃなかった。やっぱり右の道にしておけば良かった。私ははじめからそう思っていたんだ。」
怒りがこみ上げてきて、思わずこんなことを口にしてしまいます。
こんな道を歩いたせいで、だいぶ時間をロスしてしまったし、身体中が痛むのです。
さて、何とか穴だらけの道を通り抜け、ずっと進んでいきますと、また分かれ道があります。
どちらの道を選べばいいのでしょう。
今回も、近くにいる人に聞いてみることにします。
「右の道は、まっすぐだけど、途中で小高い丘を登らなくてはならない。左は曲がりくねっていて、かなりの距離を歩く道だ」
「では、どちらの道を行けばいいのでしょうか?」
「そんなことは自分で決めたらいいだろう」
「教えてください。どっちの道が、より安全で快適なんでしょうか?」
「お前は、いったいどこへ行きたいと思っているんだ?」
「私が目指しているのは......もっと心が落ち着いて、楽に生きて行ける場所なんです」
「そうか。それならなおさら、自分で決めなければならない。自分の道を、
誰か他の人に決めてもらっていては、いつまでたってもお前は、自分の望むところへは行き着くことはないだろう」
「でも、間違った道を選んでしまったら大変です。それよりは、他の人たちに聞いてみて、失敗しないように進んで行く方がいいと思うのです」
「今まで、そんなことを繰り返していて、お前は、望むところへ近づいていると考えているのか」
「そ、それは....」
口ごもってしまいます。
行きたいところへ近づいているどころか、どんどん離れて行ってしまっているような気がしてきたからです。
今まで、何度も、人に道を教えてもらって、うまく進めたことも数多くありました。
でも、それは教えてくれた人のお陰だと思ってきました。
失敗することだって何度もありましたが、それも、教えてくれた人のせいだと思っていたのです。
.....そういえば、ちゃんと自分で決めたことなんかなかったな。
「さあ、お前はどっちの道へ行くことにするんだ」
「はい、自分で決めることにしてみます」
自分が決めた道を歩こうとしたとき、また目の前の人が言いました。
「その道は、本当にお前の行きたいところへ通じているのかい」
振り向いて、こう答えます。
「いいえ。もう私は、自分の望む場所へたどり着いています」

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